2月の標語「時は ≠ 金なり」「時は > 金なり」

 2月の標語も1月と同様、時間の話しとなります。50歳を過ぎると特に時間の重要性が身に染みてきているのでしょうか。先日ある本を読みました。以下はこの本で語っている内容となります。

 昔から人は長生きをしたいという思いがあり、そのために様々な努力をしてきました。しかし、牢獄に居ながら長生きをすることや、寝たきり状態で長生きをすることを望んではいません。健康であり、自分の興味や楽しいことをする時間が多い状態で長生きをすることを望んでいます。

 医療技術の進歩から、人の寿命は少しずつ長くなってきています。そして戦後の高度成長期には需要に対する労働不足を補うために機械化が進みました。機械化は一見効率アップを目的としたもののように見えますが、実はこれも長生きをするための一つであるとこの本は語っています。どういうことでしょうか。

 洗濯機や冷蔵庫が出来たおかげで人々の時間が節約出来たということです。それまで洗濯をするときは、たらいに水をはり、洗濯板に衣類をこすりながら洗濯をしていました。水道が無ければ井戸へ水を汲みに行く作業も必要です。1枚の衣類をゴシゴシと洗濯をする時間もそれなりに必要でしょう。家族分となれば1~2時間も要するかもしれません。しかし、洗濯機が登場したことにより、水を入れてコンセントを差し込み、スイッチを入れることにより、これまで洗濯に必要であった1~2時間が短縮され、別の用事をすることが可能となりました。

 冷蔵庫はどうでしょうか。それまで食品の鮮度を保存する方法が無かったため、その都度買い物に行く必要がありましたが、冷蔵庫が出来たおかげで買い物に行く頻度が抑えられ、買い物に要した時間が短縮され、他の用事に用いることが出来るようになりました。こうして見る見るうちに、家事のために要していた時間が節約されることにより、自分の時間が持てるようになってきました。これらにより大幅に寿命が延びたのではありませんが、自分の時間を持つことが出来、あたかも長生きをしていることと同じ状況となって来たということが前振りです。

 ここからが本題です。人は働いて収入を得て、モノを購入します。言い方を変えると、働くことで自分の時間をお金に換えて、そのお金でモノを購入しているということです。モノは誰かが自分の時間を費やして、そのモノを作りました。そうすると、結果として自分の時間で他の人の時間を購入しているとも言えます。

 私が床屋さんへ行って散髪することは、自分の働いた時間をお金に換えて、床屋さんの時間を購入していると言えます。また私が通販で購入した品物が配達されるのは、私が働いた時間をお金に換えて、配達をしてくれる人の時間を購入しているとも言えます。

 ここで標語に戻るのですが、時間はお金に換えることが出来ますが、お金は時間に換えることが出来ないということです。また失ったお金を取り戻すことは出来ても、失った時間は取り戻すことが出来ないということです。別の表現をすると、お金を増やすことは出来ますが、時間を増やすことは出来ないということです。

 経営の神様と言われた松下幸之助氏は、”晩年、雑誌の取材で「何かひとつ夢を叶えるとしたら何を望みますか?」と質問されたところ「今の全財産を渡すからもう一度二十歳に戻して欲しい。それが出来たら私はもう一度今と同じだけの財産を築いてみせる。」と答えたという。”(wikkipediaより引用)。上手く出来なかったことを今度は上手く出来る自信があるため、若返ってもう一度同じ人生を歩んでみたかったのでしょうね。矢張り「時は > 金なり」ですね。

 時間は過行くばかりです。何かをしていてもしていなくても過ぎて行きます。そう考えると、一秒一秒がとても重要に感じます。ここで改めて自分の時間を変換出来る方法を列挙いたします。

(1)自分の時間を何もせず無駄に過ごす
(2)自分の時間を趣味や好きなことに費やす
(3)なるべく自分の時間をお金に換えていく
(4)自分の時間を勉学に励み、自分の時間の価値を上げていく(時給の向上)
(5)自分の時間を知識を習得することに換えていく
(6)自分の時間を貯蓄する(方法を知りたい方はお声掛けください)

 以上より、今月の標語は「時は ≠ 金なり」「時は > 金なり」です。皆さんはどのように自分の時間を過ごしたいと感じましたでしょうか。

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