4月13日から大阪万博が始まりました。開催前から当初の予算から2度に渡って増額修正されたこともあり、順調な滑り出しとはなりませんでした。加えて、経済情勢の悪化や建設費の高騰により、予定参加国が辞退するなどネガティブな話題ばかりが目立っていました。目玉である大屋根リングも波による浸食により、盛土がえぐられたことにより一部崩壊したというニュースもありました。また会場へは公共交通機関のみで自家用車で行けないなど、話題が絶えません。それでも開催日当日は雨模様にもかかわらず、ブルーインパルスのアクロバット飛行も相まって多くの人でごった返しているようでした(悪天候のため、アクロバット飛行は中止になりましたが)。
予定入場者数は2820万人ということで開催日数から計算すると、約15万人/日となります。1970年の大阪万博では、約6422万人が入場し、当時の万博史上最多記録だったそうです。当時の人口が約1億人ということから、3人のうち2人は大阪万博に行った計算になります。私はそのとき4歳で大阪に住んでいましたので、大阪万博に2〜3回連れて行ってもらった記憶があります。そして一番記憶にあるのが、万博のシンボルであった岡村太郎先生デザインの「太陽の塔」です。子供ながらに馴染みやすいデザインで、「万博に来た!」という印象を受けました。
しかし、「太陽の塔」の中はかなり多くの人がいて、なかなか先へ進まなかったことと、暗いというイメージしか残っておらず、近年太陽の塔が改修され、「生命の神秘」が展示されていたということを知りました。他にも「人間洗濯機」や「月の石」などがあり、見に行ったのだと思いますが、残念ながら殆ど記憶がありません(物心がついてから映像などで見たことはありますが)。
1970年の円相場は360円でしたので、おそらく殆どの日本人が海外へはなかなか行けない状態だと思われます。そのため、万博において海外の展示館を見るときに、初めて見るものばかりであったと思われます。もしかすると、外国人を見るのも初めてだった可能性もあります。そのせいもあってか、大盛況したのでしょう。
現代において、海外へ行く人は大変多く、またテレビやインターネットの普及により、当時ほど物珍しいと思うモノもなくなってきています。そういう意味では1970年の万博と比較すると、いろいろな背景も変化しているため、万博の開催自体が今後難しいのかも知れません。しかし、今はSNSの時代です。大阪万博に行った人が「とても面白かった!」と投稿すればするほど、これから入場者数が増えていきます。30年後、50年後の未来がこのようになっていくのだろうと、少しでも感じ取れればそれはそれで意外と楽しいのかも知れません。1985年の映画「バック・トウ・ザ・フゥーチャー」で、空を飛んでいる車や、秒単位での天気予報など、人間が考えうることがいつか実現していくことにワクワクしてきます。
気が早いですが、大阪万博跡地はIRとして活用されるということから、これからも人の流入があるようです。但し、インバウンドの外国人だけでなく、多くの日本人も楽しめる施設になることを期待しています。